1. はじめに
第3話前編では、都市という地域単位に注目することで、都道府県や市区町村などの行政区単位では見えなかった地域経済の構造を浮き彫りにしました。特に、大都市と小都市の間で産業構造に明確な包含関係があり、都市の人口規模が分かれば、その都市の産業構造もおおよそ特定できることを示しました。後編では、前編の理論の示唆通り、日本の地域経済が、国以下の各地域レベルでひとつの大都市を中心とした相似な「一極構造」を持ちながら、大小地域間で入れ子を成していることを示します。さらに、「大都市とその周辺の小都市群」から成るひとつひとつの地域では、都市人口分布がおおよそ同じべき乗則に従うことも示します。今回の話の最後に、これらの秩序の発現を前編の理論を使って再現します。1
2. 都市人口分布のべき乗則を伴うフラクタル構造
大都市とそれを取り囲む小都市群がひとつの経済圏を作るのは、「大都市」が東京の場合だけではなく、大阪を中心とした西日本の都市群、福岡を中心とした九州周辺の都市群でも同様です。日本のように、国が突出したひとつの最大都市を中心とした一極構造を持っている場合、都市人口分布のべき乗則や産業立地と都市人口の関係など、国レベルで成り立つ秩序は、国内の「まとまった」地域レベルでも、およそ相似形で成り立つことが分かっています。2 このように、全体と部分が相似な構造を「フラクタル構造」といいます。
日本のように細長い国土を持つ国の場合、東西や南北方向に2分割・3分割するなどして「地方」が定義されることが一般的です(例えば、東日本と西日本、東日本・中部日本・西日本など)。全国を東西に2分割したひとつ分、あるいは、3分割したひとつ分の地域の内部は、他の地域よりも距離が近いため、経済的にも文化的にも近接した「まとまった」地域として認識され易いからでしょう。どのような分割が最適なのかはさておき、単純な方法で日本を繰り返し2分割して、どんどん小さい地域を作ってみましょう。ただし、個々の地域は、理論上の地域と同様に「大都市とその周辺の小都市群」となるように作ります。
まず、全国の都市を、2大都市(東京と大阪)のうち、近い方に割り当てます。すると、図1Aに示すように、全国が、東京と大阪のそれぞれを中心とした赤と青の領域に分割されます。次に、いま得られた図1Aの赤の領域内にある都市を、この領域内の2大都市である東京と札幌のうち、近い方に割り当てます。同様に、青の領域内にある都市を、この領域内の2大都市である大阪と名古屋のうち、近い方に割り当てます。すると、図1Bに示すように、全国を大阪・名古屋・東京・札幌を中心に4分割した地域が得られます。同じ要領で、入れ子状に地域を繰り返し2分割していき、階層的な地域構造を作ります。地域階層の第1層目は全国で、すべての都市を含み、中心都市は東京です。第2層目は、東京と大阪を中心とする2地域、第3層目は、大阪・名古屋・東京・札幌を中心とする4地域、第4層目以降も同様に、階層を1層下るごとに地域数が倍になります。
このように「大都市+周辺小都市群」から成る入れ子状の地域では、同じ都市が繰り返し中心都市として、異なる階層に登場します (図2参照)。例えば、東京はすべての階層で中心都市で、大阪は第2層目以下すべての階層で中心都市です。そこで、ある都市を中心都市とする最大の地域を、その都市の「経済圏」として捉えると、図2のように、実際の経済の階層的な地域構造を近似できます。具体的には、東京圏として全国、大阪圏として西日本、名古屋圏として中部地方、札幌圏として北海道から東北の北部を含む地域ができます。
図3は、このようにして得られた地域ごとの都市人口分布を描いています。横軸は、各地域に含まえる都市の人口順位です。例えば、大阪は全国(東京圏)のなかでは第2位ですが、大阪圏内では第1位です。このように、同じ都市が、階層の異なる複数の地域に属する場合、属する地域によって人口順位が異なります。これらの都市人口分布は、完全な相似形ではありませんが、相似的です。3 つまり、国内の地域経済は、おおよそ都市人口分布のべき乗則を伴うフラクタル構造で特徴づけられます。日本だけでなく、アメリカ・フランス・ドイツ・中国・インドでも同様な結果が得られますので、ここで紹介している都市の秩序は日本特有の性質ではなく、ある程度一般的な性質だと考えられます。4 (これら6カ国の結果については、こちらのウェブページで視覚的に紹介しています。)
どのような都市のグループが最も意味があるのか(例えば、何分割が適切なのか)を特定することは難しいですが、それは重要ではありません。大事なことは、国内の地域が、「大都市+周辺小都市群」の単位でまとまった地域を作り、それがおおよそ、都市人口分布のべき乗則を伴う相似的な階層構造を持っているという事実です。この事実は、都市の人口と配置の関係にはそれほど自由度はないということを意味しています。前編第5節で説明した通り、都市の産業構造は、人口規模が決まれば、おおよそ特定できます。国土政策、地域政策を設計するうえでは、この抗いがたい秩序の存在を念頭におく必要があります。なぜなら、これを覆すことは、相当な費用を伴うか、そもそも実現できないはずだからです。
3. 経済理論による秩序の再現
将来の地域経済の姿について信用に足る予測をするには、予測した経済の変化がもっともらしいものかを判断するための理論的な拠り所が必要です。その理論は、現在の経済の状況や、その過去から現在に至る変化を十分再現できるものでなくてはなりません。この節では、都市人口分布のべき乗則を伴う地域経済のフラクタル構造を理論で再現します。理論の中で仮想経済を構築する際には、分析するにあたり、その構造を十分にシンプルにしておく必要があります。そのために、必要な要素だけを含み、様々な仮定をおいたりします。経済学の知識を持たない読者には、その一連の手続きを理解し、その正当性について吟味することは難しいでしょう。しかし、ここでは、適切な手続きを踏めば、求める理論を構築できることを実感してもらうことに主眼を置いています。それでは、具体的に理論モデルを説明します。5
仮想的な国土
図4に示す円周上に均等に並んだ均質な地点を国土として考え、6 輸送は円周に沿って行われるとします。円周空間を使うのは何よりそのシンプルさが理由です。しかし、実際、凹凸だらけの国土で観察される秩序が、この真っ平らで端っこすらない国土でも再現されます。それは、わたしたちが現実の国土の上に見る秩序が、地形や気候の地域差も交通網の構造も関係なく現れる秩序だということを意味しています。自然条件や交通網などインフラの地域差がこの秩序を作り出しているのではないことは、日本以外の様々な国で同じ秩序が観察されることからも推察できます。
仮想経済
図5に示すような仮想的な経済を考えます。この経済には、「企業」と「消費者」の2種類の主体7がいるとします。産業は多数あり、個々の産業内で、企業がそれぞれ差別化されたモノ・サービスを供給します。前編図1で説明した通り、企業によるモノ・サービスの供給には固定費用がかかるとします。企業は、モノ・サービスの生産に労働力だけを使うとして、理論を単純化します。
「消費者」の総人口は決まっています。 「消費者」は「労働者」でもあり、企業に労働力を供給し、その対価として賃金を得ます。彼らの収入は賃金所得のみで、そのすべてをモノ・サービスの消費に使います。8 前編図1で説明した通り、消費者はモノ・サービスの多様性を好むとします。消費者は、例えば、支出額は同じでも、外食するならたくさんのレストランの中から選びたいし、洋服はたくさんのブティックから選びたいと思っています。
消費者は満足度を最大化すべく立地・職・モノ・サービスの消費量を決め、企業は利潤を最大化すべく参加する市場・立地・価格・生産量を決めます。その結果、皆がそれぞれの利得を最大化していて、かつ、モノ・サービスと労働市場で需要と供給が一致するように価格が決まっている状態を、経済学では「均衡」と呼びます。9
仮想経済では実際の経済の様々な性質が単純化されていますが、とりわけ大胆な単純化がひとつあります。消費者や企業が住宅やオフィスを必要としない点です。この節の理論では、個々の都市が面積を持つしくみを意図的に省いています。なぜなら、いま説明しようとしている「都市間の関係に秩序が生まれるしくみ」と「各都市が面積を持ち、内部の構造が決まるしくみ」は、分けて考えることができるからです。 このような単純化は、現実のある特定の性質を説明するために理論を構築するときに、しばしば用いられます。住宅やオフィスの需要を取り除くと、都市は面積を持たない点の上に形成されます。10 これは現実では起こり得ないことですが、国土上の都市の分布を説明するためには特に問題になりません (図1や前編の図5でも都市の位置を点で表しています)。このように、それぞれの効果が生じるしくみを理解していれば、目的のために必要なしくみだけを理論に残して単純化することで、因果関係の見通しを良くすることができます。 この節で使っている理論は、経済活動の集中と分散が、ひとや企業の立地が少数の大都市に向かって起こったり、多数の小都市に分散して起こったりすることを通してのみ現れ、個々の都市の面積は常にゼロとなるように作ってあります。
モノ・サービスの代替可能性
産業間の代替可能性の違いが生まれるしくみは、都市人口分布に現れるべき乗則を説明するための一番根本的な要素です。しかしながら、このしくみについて、実は既存の理論がほとんどありません。その意味で、経済学のフロンティアのひとつでもあります。筆者の研究チームでは、産業間の代替可能性の違いが生まれるしくみ自体を理論化することはひとまず諦め、今できる最善の方法として、現実のデータから得られる代替可能性の分布を用いています。
具体的には、Broda & Weinstein (2006)によって、アメリカの輸入品、約14,000品目について推定された代替可能性の値を用います。11 国内の話をしているのに、なぜ輸入品のデータを用いるのか、不思議に思うかも知れません。それは、輸入品は税関を通るので、詳細な品目分類について価格と取引数量のデータが揃っているからです。貿易データは、モノとモノの間の代替可能性など、価格と需要の関係を調べる上でとても重宝します。このデータに含まれるのはモノだけで、サービスは含まれていませんが、モノとモノの間の代替可能性の分布ですら、手に入るデータは限られています。その中で、アメリカという大市場で実際に取引された網羅的な品目について推定された代替可能性の分布は、平均的な消費者が示すモノとモノの間の代替可能性を表すと解釈できます。12
図6は、Broda & Weinstein (2006)による推定結果を使って、代替可能性の指標の一つである「価格マークアップ率」を計算し、その分布を描いたものです。13 価格マークアップ率とは、モノの価格と原価の比率のことです。 価格マークアップ率の値が1のとき、価格と原価は一致し利潤はありません。値が大きいほど、販売量当たりの利潤が大きくなります。例えば、原価200円のラーメンを1,000円で売れば、価格マークアップ率は1,000÷200 = 5です。同じ品目内のモノ同士がより差別化されていて、代替されにくい品目ほど、価格を上げても需要は減りにくいので、企業はより高く価格を設定します。つまり、価格マークアップ率が高いほど、より差別化されていて、代替可能性が低いと考えられます。図6が示すように、推定された価格マークアップ率は1から30以上と幅広い範囲で密に分布しています。14
価格マークアップ率の大きさは、企業が直面する「規模の経済」の程度の指標として解釈することができます。生産には固定費用がかかるので、売上が大きいほど利潤が大きくなります。価格マークアップ率が大きければ、利潤はさらに大きくなります。前編第3節の理論に基づけば、規模の経済が大きい産業ほど、より少数の大都市に集積することになります。15
都市の人口規模と配置を決める集積の経済と不経済
仮想経済では、国土上の地点に優劣がなく、他の場所と比べて、特に都市ができ易い場所はありません。人や企業がある場所に集積することによって、その場所が消費者・企業の双方にとって好ましい場所に変化し、結果としてその場所に地の利が発生します。消費者にとっての好ましさは満足度であり、企業にとっての好ましさは利潤です。ただ、個々の企業の利潤は競争によって消滅します。なぜなら、多数の企業が参加する市場では、ある企業に余分な利潤が発生していたら、別の企業がその企業よりも価格を下げて、市場シェアを奪おうとするからです。結果として、個々の企業が得る余分な利潤は消滅します。16 しかし、消費者の集積によって需要が増えれば、新たな企業に参入のチャンスが生じるため、産業としては集積が進み、供給されるモノの多様性が増えます。この仮想経済では、企業が生産に使うのは労働力のみであり、労働者は消費者でもあるので、集積によるメリットは、企業の利潤やモノ・サービスの多様性の増加を通して消費者の満足度に集約されます。このように集積することによりメリットが生じることを、経済学では「集積の経済」と呼びます。
集積には不経済もあります。この仮想経済での集積の不経済は「競争効果」です。企業が集まれば、個々の企業の市場シェアは小さくなり、競争により価格が下がります。営業には固定費用がかかるので、シェアの縮小と価格の低下により、企業の利潤は減少します。価格マークアップ率が低い産業ほど、競争の激化による集積の不経済は大きく、比較的人口が小さいうちに、集積の不経済が集積の経済を上回ります。結果として、レストランなど代替可能性が高い産業ほど、より多数の都市に分散して立地することになります。17 逆に、劇場など代替可能性のより低い産業は、より少数の大都市に集中して立地します。産業固有の集積の経済と不経済のバランスによって、個々の産業は、おおよそ一定の間隔で集積を形成します。多数の産業が存在するとき、それらの立地には前節図2に示した調和が生じ、地域経済の相似的な構造が現れます。
均衡の探索
消費者と企業が集積することで地の利が発生し都市ができる経済では、都市の数・人口・位置・産業構造が少しずつ異なる均衡が多数存在します。例えば、最大都市の位置ひとつをとっても、もともと優劣がないどの地点にできても不思議ではありません。多数ある均衡のすべてを見つけ出すことは現実的に不可能です。このようなときには、すべての均衡から十分に多数の、例えば1,000個の均衡をランダムに選んで、それらに共通な性質を調べます。(このような方法を「(均衡の)モンテカルロサンプリング」と呼びます。) 以下では、これらの無作為に選ばれた1,000個の均衡が求めている秩序を共通に持つ事実を示すことにより、「秩序を再現できた」と結論づけます。
ただ、今考えているような複雑な仮想経済の下で均衡を「ランダムに選ぶ」には、少々工夫がいります。例えば、地点の数を1,000としましょう。図6の分布に含まれる約14,000品目すべてを含む、つまり14,000産業を含む仮想経済を考えると、均衡を求めるために解く必要のある問題の次元(つまり、解くべき連立方程式に含まれる式の数)は14,000×1,000=1,400万と、スーパーコンピューターをもってしても手に負えないサイズの問題になります。そこで、現実的な計算時間で均衡を求められるよう、以下のような工夫をします。
工夫1: 一部の産業のみを使う 計算可能な程度に小さい産業数、例えば、産業数=100と設定し、これら100産業の価格マークアップ率を、図6の分布からランダムに選びます。仮想経済に含める産業数を増やしていけば、これらのランダムに選んだ価格マークアップ率の分布は、元の図6の分布に近づいていきます。筆者らは、14,000産業すべてを使わなくても、それよりもかなり少ない、しかし十分な産業数の下で求める秩序は再現できると予想しました。
工夫2: 仮想経済の主体に均衡を探させる 均衡での都市の数・位置・人口・産業構造は、事前には分かりませんので、それを探す工夫も必要です。ここで筆者らは次の方法をとっています。まず、消費者(=労働者)と企業を、すべての地点と産業に対してランダムに割り当てます。例えば、1,000地点と100産業が含まれる仮想経済なら、可能な地点と産業の組み合わせは1,000×100=100,000あります。そこで、各消費者・企業を、これら100,000組からランダムに選んだひとつに割り当てます。このようにランダムに決めた消費者・企業の立地の下では、ほとんどの場合、消費者の誰か、あるいは企業のどれかが、現状に不満を持っています。つまり、消費者なら移住や転職の動機を持ち、企業なら市場から退出したり、別の都市の市場に参入する動機を持っています。そこで、個々の主体にそれぞれの利得を最大化すべく、好き勝手に行動してもらいます。その結果落ち着いた先、つまり、誰も現状の各自による選択を変更する動機を持たない状況に到達したところが均衡です。このように、仮想経済の消費者と企業に、現実の消費者と企業を模して行動させ、その結果として実現する地域経済の構造を分析する方法は、シミュレーションと呼ばれます。18
これらの工夫の下で、様々な産業数について、それぞれ1,000ずつの均衡を求めます (実際のシミュレーションでは、地点数は1,024=210としています)。19 図7A-Dは、それぞれ、産業数が4, 16 (=42), 64 (=43), 256 (=44)の下で求めた1,000の均衡からランダムに選んだひとつについての都市人口分布を描いたものです。20 一番上の赤色のグラフが全国の都市人口分布です。それ以下に描かれているのは、図2と同様に、国土を繰り返し2分割して得られた地域ごとの都市人口分布です。産業数が増加するに従って、各地域レベルの都市人口分布がべき乗則に近づき、かつ、より明確な相似性を示すことが分かります。21 とても興味深いことに、産業数が同じなら、生成した1,000の均衡のほとんどで、図7A-Dと同様の都市人口分布になります。特に、産業数が100を超すと、ほとんどの均衡で、地域経済に都市人口分布のべき乗則を伴うフラクタル構造が現れます。筆者らの予想通り、14,000産業すべてを用いなくても、無作為に選んだ十分多数を含めれば、現実と同様の秩序が現れました。
このように、凹凸も端っこもない円周上に、実際の経済と同じ、都市人口分布のべき乗則を伴うフラクタル構造を再現できます。この結果は、これらの秩序が生じる要因が、現実の国土が持つ、地形や交通網構造の地域差など、インフラを含めた国土の凹凸ではなく、人口や産業の集積によって生じるメリットとデメリット、つまり、集積の経済と不経済のバランスで決まることを示唆しています。
4. 都市の盛衰予測に向けて
第2話と第3話の内容が、これから行う都市盛衰予測の背景にある理論です。この理論に基づけば、例えば、輸送・通信費用が減少したときに「国レベルでの大都市への集中」や「都市内での平坦化」が起こるなど、変化の種類や方向、つまり「質的な変化」について予測することができます。ここまでの理論でできないことは「量的な変化」についての予測です。つまり、どの都市の人口がどれだけ増えるのか、あるいは減るのか、都市の数がいくつ減るのか、都市内部の人口密度や都市の領域がどれだけ変化するのか、など「量」についての予測です。
それを行うには2つの方法があります。一つは、今回説明した、消費者や企業といったミクロな主体の行動から積み上げた理論に、日本の国土の上で実際の都市形成を再現するために必要な拡張を施すことです。具体的には、土地・住宅の需要に加えて、地形や交通網の構造など、実際の国土に見られる地域差を含めます。例えば、今回の仮想経済で仮定した凹凸のない円周空間では、どの地点も最大都市になり得ました。しかし、現実の日本で、最大都市が東京の位置にできたことの大きな理由の一つは、関東平野の存在です。今回紹介した理論では、消費者も企業も住宅やオフィスを必要としないと仮定したので、大都市の形成には平野の存在は不要でした。しかし、実際には、住宅・オフィスの需要があり、東京のような大都市は広い平地がある場所にでき易くなります。さらに言えば、関東平野のような広大な平地があっても、人口3,000万人を超える都市はそう簡単にはできません。実際、人口3,000万人を超える大都市は、先進国のどこににもありません。東京がここまで大きくなった理由の一つは、日本の高速交通網が、東京の利便性を極端に向上させる構造を持っていたことです。22 都市の配置まで再現できる理論を作るために、このような試行錯誤をして必要な要素を決めていきます。
現在、筆者らの研究チームは、日本の国土の上に仮想経済を築き、そこで、実際の日本の都市の配置を再現するプロジェクトも進めています。精巧な仮想経済を作って実経済を再現する方法の利点は、大規模な変化の影響を、仮想経済の中で実験できることです。人口や輸送費用の単調な減少に対する地域経済の反応だけでなく、例えば、新幹線の各路線の整備順序が違ったら、どのような地域構造になっていたのか、あるいは、現在延伸が進んでいる北陸新幹線を、東京からではなく、大阪から作り始めたらどうなっていたのか、リニア新幹線が開通したらどうなるのかなど、実経済では不可能な大規模な実験を行うことができます。このような実験は「反実仮想実験」と呼ばれます。このような試みが可能なのは、消費者・企業といったミクロな主体の行動原理を含む理論ならば、経済の様々な前提の変化に対して、ミクロレベルの行動原理に基づいた実際の経済の反応を模擬できるからです。 このように、実経済を精密に模した理論上の仮想経済を、「構造モデル」と呼びます。
構造モデルには不利な点もあります。仮想経済では、多くの大都市について人口と配置をおおよそ再現できるかもしれませんが、小都市については、おおよその地理的分布を再現できても、ひとつひとつの都市の人口や配置まで再現することは、ほぼ不可能です。なぜ難しいかというと、消費者・企業レベルから積み上げて理論を作るためには、焦点を当てた現象(例えば、秩序の発現)の再現を優先して多くの現実的な要素を省き、理論の複雑さを手に負える範囲に留める必要があるからです。理論は、現実のしくみを省くたびに、そのしくみが関わる現実の側面についての説明力を失います。そこでまず諦めるのは、多数の小都市の人口や配置までを詳細に再現することです。代わりに、比較的大きな都市についてはおおよそ再現し、小都市群については、個別の人口や位置ではなく、人口分布や地理的分布をおおよそ再現することを目標にします。
都市数や都市内部の人口を予測するための、もう一つの方法は、消費者や企業などのミクロな主体の行動を直接は表現せず、今回説明した理論から導かれる、都市レベルの変化や、国レベルで成り立つ都市人口分布のべき乗則など、都市や国といった地域レベル(ミクロレベルに対してマクロレベルと呼びます)の挙動のみを表現するモデルを用いる方法です。このようなモデルを、 その基礎となる理論の「誘導系モデル」と呼びます。過去のデータを学習することで、モデルが都市や国レベルの挙動を再現できるようにチューニングし、それを使って将来を予測します。 誘導系モデルを使う場合、構造モデルを使う場合に比べて、ミクロレベルのしくみを省いている分、可能な実験は限られます。しかし他方で、人口減少や輸送・通信費用の減少といった単調な変化に対してなら、いま存在するすべての都市についてそれらの反応を具体的に予測することができます。また、ミクロな行動原理を組み込まない分、数学的な構造は単純で、計算が簡単なことも利点です。
いま、わたしたち国民に必要なのは、日本が直面している急速な人口減少の下でどのような変化が起こるのか、現実の再現性が高い経済理論に基づいて具体的なイメージを持つことです。23 それには誘導系モデルが役に立ちます。次回は、その誘導系モデルを用いた将来予測の方法について話します。
- 本節の説明は、Mori, Smith & Hsu (2020)とMori, Akamatsu, Takayama & Osawa (2023)による研究に基づきます。 ↩︎
- すべての国が、国レベルで一極構造としてまとまっているとは限りません。例えば、アメリカは一極構造よりもニ極構造として捉える方が自然でしょう。2020年時点で、最大都市ニューヨークは約1,500万人、第2位のロサンゼルスは約1,400万人と、いずれも大阪とほぼ同じ人口規模で、アメリカには日本の東京のように突出した大都市はありません。しかし、ニューヨークとロサンゼルスを中心としたそれぞれの一極構造が、日本と同じく入れ子の相似的な地域構造を持っています。他に、インドでは、最大都市ニューデリーが人口約2,650万人、第2位のコルカタが約2,600万人、第3位のムンバイが約2,470万人で、上位3都市がほぼ同規模です。インドの場合も、同じく、それぞれの大都市を中心とする一極構造が、入れ子の相似的な地域構造を持っています。アメリカやインドのように、人口も面積も大きな国は、このように多極構造を持つことが多いです。なお、アメリカやインドの都市は、アメリカOak Ridge National LaboratoryによるLandScan Global 2020を用いて検出しています。LandScanは、世界の約1kmメッシュレベルの人口分布データを提供しています。 ↩︎
- 筆者の研究チームによる論文(Mori, Smith & Hsu, 2020)では、図3が示す地域間の都市人口分布の相似性が、個々の地域の「大都市+周辺小都市群」という地域構造の中で、「地域が距離が近い都市のグループで作られている」という条件を外すととたんに成立しなくなることを、統計的に示しています。つまり、大都市とその近くにある「周辺都市」をまとめて地域とすることで、初めて地域間の相似構造が現れるのです。 ↩︎
- Mori, Smith & Hsu (2020)では、地域分割を、2分割だけでなく3〜6分割に変えても、都市人口分布がべき乗則を伴う相似構造をもつことが示されています。 ↩︎
- 経済学において「理論モデル」とは、実際の経済の振る舞いを経済理論に基づいて数式で表現した「模型」のことを意味します。 ↩︎
- 円周ではなく、球面上に均等に地点が並んだ国土でも、本質的には結果は同じです。ここで円周を採用しているのは、2次元の球面より1次元の円周を使った方が、計算時間が圧倒的に短くて済むからです。 ↩︎
- 「主体」とは意思決定を行う個人や組織のことを意味します。 ↩︎
- より正確には、消費者・労働者が均質であると仮定します。実際には、世帯構成は様々で、かつ、個人は年齢・性別・能力が様々ですが、理論では全て単身世帯で性別もない均質な「労働者」が多数いると考えます。世帯の違いや、世帯を構成する個人の違いが、いま説明しようとしている秩序に不可欠な要素ではないと考られるからです。 ↩︎
- 実際の経済では、在庫が残ったり失業があったりして、需給が合っていないことがありますが、ここでは常に需給が合っている状況を考えています。需給が合っていない状況、例えば失業がある状況は、いま説明しようとしている秩序形成にはあまり関係がないと考られるからです。 ↩︎
- 第2話で説明した「都市レベルで起こる平坦化」の理由の一つは住宅・オフィスの需要があることです。住宅やオフィスは混み合っていない場所の方が賃料は低いので、消費者も企業も、できれば混み合った都心から離れて立地したいと考えます。例えば、リモートワークが簡単にできるようになると、都心の近くに立地する必要性が下がり、郊外へ移住・移転する動機が生まれます。 ↩︎
- 正確には、Broda & Weinstein (2006)が1990-2001年のアメリカの税関データを用いて、米国関税率表(Harmonized Tarrif Schedule, HTS)によって定められた13,972の輸入品目について、品目ごとに「代替弾力性」と呼ばれる代替可能性の指標を推定した結果を用いています。「代替弾力性」とは、2種類のモノの価格比の変化に対する需要量比の変化率のことです。 ↩︎
- 同様の税関データはもちろん各国にありますが、日本の輸入データを含めてそれらは簡単に入手できるものではなく、筆者らが現状で入手しているのはアメリカのものだけです。 ↩︎
- 同じ価格マークアップ率の推定値を持つ品目は同じ順位としています。例えば、第11位から第35位までの価格マークアップ率は同じ推定値なので、全て35位としています。 ↩︎
- 価格マークアップ率が最大(33.8)の品目は、ベルトサンダーと呼ばれる木材研磨用の工作機械で、特にベルト幅が60cmを超える幅広タイプ、第2位(21.0)の品目は薔薇の精油と、特殊な品目です。他は、第38位のガラス (ボディ着色あり、不透明化、フラッシング、または吸収層、反射層、非反射層あり)が10.1、第1,468位のギター(100米ドル以上)が2.79、第12,226位のコーヒー豆(非焙煎)が1.07などです。 ↩︎
- 筆者の理論では、産業ごとの「規模の経済」の違いは、モノ・サービスの代替可能性の違いにより生じますが、原因は他にもあります。例えば、Hsu (2012)では、同じく多数の産業が存在する経済を考えていますが、各産業は一種類の同質のモノ・サービスを供給し、消費者は必ず全種類のモノ・サービスを決まった量だけ消費すると仮定しています。産業間の違いは、生産において必要な固定費用の大きさです。例えば、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンのような大規模なテーマパーク市場に参入するなら、莫大な固定費用が発生しますし、ラーメン店なら、少なくともそれらに比べれば小さい固定費用で済みます。このとき、前者は、多数の都市で営業することは難しいので、少数の都市に立地しますが、後者は、消費者の立地に合わせて、多数の都市で営業することができます。結果として、前編第3節の図2で示したものと同様の、都市の人口・配置・産業構造が得られます。彼の理論では、図6の価格マークアップ率の分布に対応するものが、企業の固定費用の規模の分布になります。 ↩︎
- それぞれ差別化したモノ・サービスを供給する企業(あるいは店舗)が多数あるような市場を想定しています。経済学ではこのような市場を独占的競争市場といいます。供給するモノ・サービスは、ある程度差別化されているので、少々価格が高くても需要は簡単になくなりません。そのような状況では、個々の企業は価格を独自に最適化できます。このことを「独占力がある」と表現します。しかし、潜在的な参入企業が無数にあるとき、利潤が出ているうちは次々に新規参入が起こるでしょう。参入した企業間の競争によって、均衡では、売上が生産費用をちょうどカバーする状態に落ち着きます。つまり、余分な利潤がなくなります。これが「競争的市場」の特徴です。この均衡で成り立つ「ゼロ利潤」の条件について、儲けがないのにビジネスになるのか不思議に思われるかも知れません。しかし、これは、売上から、材料費や賃料など諸々の生産費用を支払った後、企業で働く労働者に支払われる賃金が、ちょうど労働市場で決まる賃金水準に等しくなっている状態です。 ↩︎
- 集積の不経済で重要なものとして、他に「混雑費用」があります。これは、各地点に存在する土地の量が限られていることによる不経済で、今回省いている住宅・オフィス需要がある場合に生じます。あるいは、大都市で一般的な通勤ラッシュにより生じる費用も混雑費用です。このタイプの集積の不経済は、都市の面積や都市内部の人口密度を説明するときには必要になります。第2話で説明した、輸送・通信費用の減少に伴う「各都市内で起こる平坦化」は、このタイプの集積の不経済が原因で起こります。 ↩︎
- 実際の均衡探索の方法はもっと数学的に込み入ったもので、ここでは詳細を大幅に省いてエッセンスを伝えています。完全な説明は(英語ですが)、Mori, Akamatsu, Takayama & Osawa (2023)にて行っています。 ↩︎
- 地点数は、都市形成の間隔の違いを柔軟に表現できる程度大きければよいです。210という値は、先進国の都市数をおおよそカバーできる値で、かつ、計算に時間がかかりすぎない程度の大きさということで選んでいます。 ↩︎
- 均衡では国全体で一極構造になるように輸送費用を調整してあります。現状より輸送費用を高くすると二極構造となり、もっと高くすると三極構造になります。 ↩︎
- 2分割だけでなく3〜6分割でも、同様な相似的な構造が現れることが分かっています。 ↩︎
- 第1話でも触れましたが、本気で一極集中を「是正」する気があるならば、そこから考え直さないと状況は変わらないでしょう。現在進んでいる北陸新幹線の延伸についても、東京から徐々に伸ばしていけば、ただ東京の利便性を増加させるだけです。リニア新幹線も東京を強くするだけでしょう。一方で、筆者は、一極集中を「是正」することが良いとは限らないとも考えています。 ↩︎
- 実経済の再現性が高い経済理論に基づくことは、構造モデルを使う場合でも誘導系モデルを使う場合でも大変重要です。実際は、ほとんど実経済を再現できないモデルを使った予測や仮想的な実験が頻繁に行われています。 ↩︎