(青アンダーライン部分を修正しました。)
昨日8月2日、全国知事会議が取りまとめた提言に、「人口減少問題打破により日本と地域の未来をひらく緊急宣言」が含まれます。その中で、「人口減少問題について、国は過去10 年間、『地方創生』等の中で進めてきたが、個別の施策では成果が上 がったものの、マクロレベルでは成果が出ていない。これは、特定の地域への人口集中や、(中略) に対して、国 全体で集中して施策を投入できていなかったためである。」そして、「現下の人口減少の構造を改めていくためには、①人口や産業が特定の地域に集中している現状を見過ご すことなく、地方部も大都市部も人口減少傾向に歯止めをかけ、地域における社会減を緩和する対策 (後略)」が必要であると述べられています。
この宣言には、上述の2点に対する東京都知事の意見として、次の注釈が添えられています。
「人口戦略対策本部の設置に当たり、特定の地域への人口や産業の集積と日本全体の人口減少を関連づけた考え方は、因果関係が不明確であり、本質的な課題解決につながらないため、削除すべき」
私も同じ意見です。昨年の日本人の人口減少は86万人で、実に100万都市や都道府県がひとつが(山梨県の人口は80万人、高知県の人口は70万人)、毎年日本から消える勢いで、人口が縮小しています。米国保健指標評価研究所(IHME)により今年3月に発表された論文では、2100年には出生率が人口置換水準の2.1を上回る国はサハラ以南のアフリカの6カ国のみと予測されています。つまり、移民による人口減少緩和も今後は望めません。その中で、各地方の人口を維持することが事実上不可能であることは、難しい計算をしなくても容易に想像できます。
同日、私が岐阜市にて講演した際に、私たちの都市盛衰予測が示唆する「100年後の悲観的な未来」と「100年後の楽観的な未来」について話しました (講演資料)。全国知事会議による、国の人口減少と東京一極集中を関連づけ、それが地方創生に対して「国全体で集中して施策を投入できていなかったため」とする主張は、地方を創生するよりも、むしろ、その「悲観的未来」に向けて歩ませる考え方であるように思います。
現在、コンパクトシティ化に取り組む市町村は700以上あります。持続可能な「地域生活圏」(国土交通省)の人口しきい値は10万人と言われますが、10万人以上の(人口集積としての)都市は、現在でも83しか無く、100年後には20から40程度まで減ります。コンパクトシティとして整備された都心のインフラや住宅地の多くから人が去り、廃墟化してゆくのではないでしょうか。バブル期に乱立した越後湯沢のリゾートマンションのように。
100年後、社人研による楽観的な中位推計や悲観的な低位推計では、日本の人口は60~70%も減少すると予測されています。私たちの予測では、残った30~40%の人口のうち60%が3大都市に集中します。各地方の人口維持を目的とする地方創生政策は、多くの地方で立ち行かなくなり、整備したインフラや施設の多くが使われることなく廃墟化していくでしょう。
上手にすれば、縮小は決して悪いことばかりではないはずです。「100年後の楽観的な未来」では、そのような状況を描きました。例えば、高知県の歳入に占める自主財源シェアは25%で全国最下位です(データ:都道府県決済状況調/総務省)。比較的1次産業に強いはずの高知県は、総生産の78%が3次産業で、1次産業は3,4%程度という、公的支出に支えられた歪な産業構造を持っています (データ:高知県ウェブサイト)。現在の高知県の人口70万人は、国の補助金に支えられた過大なものでしょう。高知県が本来優位性を持つ産業に特化したとき、最適な人口規模は現在よりずっと小さいものなのではないでしょうか。都道府県の歳入に占める自主財源シェアの中央値は、2011年以降の人口減少期には41~46%です。中央値未満の多くの道県で、多かれ少なかれ同様のことが言えるのではないでしょうか。
今こそ、地方の人口規模を維持することの是非を、一から考え直すべきときだと思います。