新幹線が西は福岡へ、東は仙台や盛岡、さらに札幌まで延びたり、本州と四国の間に橋ができたりすると、それらの都市や地域はそれ以前より栄えるのでしょうか?実は、そうなる場合もならない場合もあるし、そのどちらもが同時に起こることもあります。今日は、交通アクセスの改善と都市や地域の盛衰の関係について、過去50年のデータを用いて考えてみます。
図1は、新聞やテレビニュースなどでよく使われる「地方7区分」と、それぞれの地域の最大都市の位置を示しています。(沖縄と離島は除いています。) カッコ内の数字は日本の全都市の中の2020年時点での人口順位です。図2は、1970年から2020年までの、各地域・各都市が全国に占める人口シェアの推移を、2020年時点の値を100とした相対値で示しています。


図2Aから、7地域のうち、過去50年にわたり人口シェアを伸ばし続けたのは、関東だけであることがわかります。関東は都市としての東京を含みますので、「東京一極集中」のイメージと重なります。しかし、コラムでも述べたように、「一極集中」は、東京に向かってだけでなく、地域それぞれの中心都市に向かっても起こりました。図2Bは、7地域の最大都市の人口シェアの推移を示しています。大阪と広島を除けば、殆どの都市がおおよそ人口シェアを伸ばしてきており、地域内部でも「一極集中」が起こったことがわかります。
図2Bのグラフを眺めると、ところどころでガクッと落ち込んでいることに気づくでしょう。これらの落差の殆どが交通網が大きく変化したタイミングと重なります。何より、大阪の人口シェアは2000年から2005年にかけて9.5%(146万人)も減少しています。このショックがバブル崩壊の影響であるならば、他の都市でも同じ動きになるでしょう。しかし、このタイミングで人口が急激に減少したのは大阪だけです。私は、これが「のぞみショック」だと考えています。東京からのアクセスが、あるしきい値を超えて良くなり、もはや大阪に支店を置く必要がなくなるなど、大阪にあった様々な都市機能が東京に集約されていきました。
そのほかでは、1980年から1985年にかけて、広島・名古屋・仙台で人口シェアが極端に減っています。仙台に関しては、ちょうど東北新幹線が仙台まで到達した時期に重なります。それまで仙台にあった企業の支社が東京に移転したことなどによる人口減少と考えられます。名古屋や広島には直接的な効果は小さかったかも知れませんが、東北新幹線の開通は、東京からのアクセスを、西は福岡から東は仙台までの広範囲で一気に改善しました。例えば、この範囲なら日帰りで東京で会って仕事をすることができるようになるなど、多くの路線の端点である東京は、圧倒的な交通アクセスを持つことになりました。その結果として、名古屋や広島からも企業や人口が東京に吸い取られたと考えられます。この「吸い取る」感じから、大都市への交通アクセスが改善した小都市から、人口が大都市に向かって流出する効果を「ストロー効果」と呼ぶようになりました。東京一極集中の最も大きな要因のひとつは、東京から全方位への交通アクセスが向上したことによるストロー効果であると考えられます。
東京の他では、福岡だけが過去50年間人口シェアを伸ばし続けてきました。なぜ福岡は山陽新幹線開通後に、東京に吸い取られずに成長できたのでしょうか。それは、第一に東京から十分に遠かったことと、第二に、それまで九州の外から隔離されていた人たちが、福岡経由で大阪や東京に簡単にアクセスできるようになったからです。九州の人流・物流が福岡へ集中したことが、福岡の成長の起爆剤となり、福岡のその後の成長を支えました。もちろん福岡空港の貢献も大きいでしょう。
札幌も1980年から1985年に人口シェアを落としていますが、これはこの時期、千歳空港からの空のネットワークが一気に拡大したことによると思われます。また、広島の人口シェアが1990年から1995年にかけて縮小(6.4%)したのは、本四連絡橋開通による効果だと考えられます。この間、逆に岡山はシェアを4.3%伸ばしました。
最後に、地方中心都市の人口シェアが(大阪と広島を除いて)、「新幹線ショック」の後すぐに増加に転じている理由を考えてみましょう。これは、これらの都市が、地域の中では相対的に広域的な交通アクセスが向上したため、地域内から人口や企業の立地が集中したためだと思われます。この地域内での一極集中はストロー効果ではなく、立地の優位性の変化によるものだと考えられます。